ニコニコ珈琲焙煎士、松本正のネルドリップ人生
プロフィール
1983年 セコム株式会社 入社
1992年 セコム株式会社 退社
1992年 下北沢 花泥棒(焙煎工場長(兄、浩)の仲介で入社)
同年 下北沢北店店長
1995年 松本兄弟珈琲店 開業(ニコニコ珈琲へ店名変更)
2015年 全日本ネルドリップコーヒー協会設立
【ネルドリップの人生スタート】
*花泥棒 店名 ヴォルール・ドゥ・フルールは ネルドリップでコーヒーを抽出のバリバリの珈琲専門店
ここから 私のネルドリップ人生がスタートしました。
【ネルドリップの探求人生】
兄が焙煎を専門にしていましたので焙煎×ネルドリップの環境があり
焙煎専門兄/抽出・販売 私の専門分野 は
抽出に専念できるとともに焙煎への客観性を生むことになりました。
またこの時代は急激に「珈琲生豆の流通革命時期」
生豆の流通がスペシャリティーな方向へと大きく舵をとっていった変革期でした。
その中で時代に流されない珈琲を軸にネルドリップ×焙煎の関係を鍛えていきました。
【季節を見つめる視線その先のコーヒー】24節季焙煎へと探求の旅
ありがたいのはニコニココーヒーのお店の場所つちうらの丘の上にあり
前は大きな病院で木で覆われておりまるで森にいるようです
季節の移り変わりが手に取るようで秋には紅葉がいっぱいになり
鳥のさえずりがたえず聞こえています。
私はこの場所でコーヒーと向き合うチャンスをいただきました
お店からすぐ下に降りると「母校の小学校」懐かしいー
そのころの想い出が季節を通して鮮明によみがえってきます
【さくらコーヒーは教室から見えた桜の記憶】
はじめにできたコーヒーは「さくらコーヒー」 ほんのり桜の薫りがコーヒーを飲むつど香ります
桜の木の下でお花見をしているようでもあります。
ほのかに香るさくらコーヒーの薫りは教室から見た桜の記憶そのままです。
【24節季焙煎法×ネルドリップ抽出技術】
「3年かけて学ぶを合言葉にネル抽出技術は」季節の味や奥深い表現を付けます。
自分の主観ではなくプロとしてカウンターに立った時を想定して
「信頼感のある抽出姿、伝わるコーヒーの表現力 説得力のあるコーヒー」
この3つの技術をしっかり学びます。
【全日本ネルドリップコーヒー協会は まず!衰退した道具ネル製造から】
ネルの協会を作ろうと考えてから最初に知ったのが
業務用に普通に使っていた「ネルフィルター」どこを探しても手に入らないことでした(^_^;)
先輩に聞いたところ16年前に作ったのが最後かな・・・と
信じられますかあんなに普通に使っていた業務用のネルフィルター実際探してみると
すでに製造しておらず販売在庫もないそしてこの事実を誰も知らない
時代は変わっていき必要とされないものは絶滅していく?
きっとネルもそのコーヒーも時代とともに忘れていく?
ネルフィルターが東京から消えた事実を実感してみてそういう気持ちになりました。
そういうことを考えながら毎日私はネルドリップを抽出していました。
「そうだ ネルつくろう!」とある日、思い立ちました。
フィルターを全国に作って配布していきセミナーを実地してその活動を
教会の基盤にすればいいかなーそうだネル作ることが協会の使命だ!
【 2年かかりました 】
ネルを作ろうと考えて気づいてみたら2年がたっていました
布を探すことから始まりました。フランネル?呼び名はなんて言う生地なの?
ネルにむく生地は全国の生地屋さんに問い合わせる毎日でした。「ないなー」
服を作るフランネルはあるのですが食品用となると・・・半年かかりました。
そんなこんなでネル布の縫製までに1年半 やっとのことで(2年!)プロトタイプが出来上がりました。
【サードウェーブから外れているネルコーヒー】
時代「サードウェーブ」なるコーヒー大繁栄
ハンドドリップブームもその一つです。
でもやはり ネルドリップはほとんど取り上げられることはなかったです。
なぜか?ということよりもネル抽出における「むずかしさ・そのむずかしさに裏付けされたおいしさは?・・」
難解・あつかいずらいとは聞きますがどこがおいしいか?
ペーパーとネルの違いは?
こうなるともう飲んでいただくしかないなー
そうだ!飲んでもらおう
ひとりひとり飲んでもらう
それしかないな
時間をかけて・・
わたしが感じた口当たりがきれいで
奥行きがあり余韻があるコーヒー
日本の季節春夏秋冬を感じるコーヒー
ネルで淹れる「おいしいコーヒー」
24年目を迎えた私のコーヒー人生
下北沢のお店のカウンターで兄と飲んだ1杯の濃い苦いコーヒー
その1杯が私の人生のすべての始まりだったと今思います。
ブログにて、コーヒーのことや私の頭の中にあることを綴っています。ぜひごらんください。
https://nicocoffee.exblog.jp/